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旅「中南米」 ブログトップ

体感は、突然である。 [旅「中南米」]


遺跡を巡る旅も終盤に近づいていた。スペイン統治時代の城門の一部や砦が現存しており、カラフルで美しい街並を誇るカンペチェ。99年に世界遺産に登録された景観に、真っ赤に焼けたフォルクスワーゲンがよく似合った。安宿カステルマルは、良く言えば時代を感じさせる建物だった。「ベッド3つに、トイレ、バスが付いて、いいお部屋です」店主の言葉は嘘ではなかったが、足りなかった。トイレには扉が無く、代わりに丈の短い布がぶら下がっていたし、シャワーとは2mほどの高さに突き出た蛇口で、水しか出なかった。しかし、最大の驚きは夜に来た。突然のドコッという大きな音に飛び起きて電気付けると、ベッドとベッドの間に、大きな石が砕け落ちているではないか。上を見ると天井が崩れている。石はベッド脇の麦わら帽子にも降り注いでいた。昼間、街を散策してもここまで歴史を実感させてくれる観光スポットはなかった。これだから旅はやめられないのだ。


トラロックが雨を降らしてくれるから、心配はいらない。 [旅「中南米」]


紀元前2世紀ごろに建造されたメキシコ最大の都市遺跡ティオティワカン。広い敷地内に3つのピラミッドが点在している。その中でもひときわ目立つのが、宗教儀礼のために建造された太陽のピラミッド。昔は上部の神殿に太陽が真上からあたると、後光に見えたらしい。計算された建築様式は、古代人の頭の良さを示していた。水と農耕の神ケツァールコアトルと雨の女神トラロックが前面を覆い尽くしているケツァールコアトルのピラミッドも美しい。エッジの立った角に、よく磨かれた表面。自分たちが建造できないものを修復する現代人は滑稽だ。人間の頭脳・技術は退化したのか。刺激と便利が溢れる現代は一つの驚きにかまっている暇はない。思考力が落ちていると実感する。お尻の大きい欧米人女性が、手すりのついた長い階段を登るのを見上げながら、古代人は決して落ちることはなかっただろうと思った。9月。まだ日差しは強く麦わら帽子は燃えるように熱かった。


ファインダー越しの青は、僕たちだけのものだった。 [旅「中南米」]


カンクンに着いたということは、旅の終わりを指していた。宿はカーサ。スペイン語でカサとはホテルを指す。安宿だったので、その手の若者がたくさん集まっていた。僕らは、でっかい扇風機が天井で回っている部屋で、オイチョカブを始めた。3人も乗るとベッドはみしみし音を立てたが、特に気にならなかった。「俺たちは日常、ギャンブルをしているぜ」と消防士は笑った。事実その消防士は強く、カズタカが1人でさんざん負けた。元気がないので、朝飯を奢ってやった。パンとハムエッグだけの簡単な朝飯だった。そうだ、コーヒーは海を見ながら飲もうぜ。俺たちの海だぜ。カメラを持って、海に出る。夏は青いのが正解だった。


10分間、同じ方向を見て動かないので、マヤ人だとわかった。 [旅「中南米」]


ここへきて、タクロウの調子が良くなかった。ティオティワカン遺跡からカンクンまで、遺跡を巡る旅、メキシコを縦断する卒業旅行。チチェン・イツアーは4番目の遺跡だった。少し前、2番目の遺跡に向かう途中で、3人はハットを買った。ハットは気分を盛り上げる最高の小道具となった。頭の中で常に流れるインディージョーンズの音楽に、カラダは自然と軽くなった。ハリソンフォードだ。しかも若い。そして、ハットを被って見る遺跡は疲れを感じないほどの、高揚感と衝撃を与えてくれた。

7世紀に隆盛を誇ったその遺跡は、圧倒的な造形美を見せてくれた。いやエル・カスティージョに関しては機能美と呼ぶべきかもしれない。マヤの暦を表した巨大なカレンダ−であるからだ。しかし、カラダは正直だ。気付かないうちに、チチェン・イツアーは僕らの残ったわずかな体力さえも搾り取ったのだ。ぐったりとしたタクロウを支えながら3人は移籍を後にした。チャックモール像の台には生け贄の心臓を置いたのだ。まじめに思い出して、ゾッとした。


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