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その言葉に信念はあるのか。 [涙活]

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こんにちは、泣語家の泣石家 霊照です。
先日、築地本願寺で開催された、節談説教研究会に参加してきました。

節談説教とは、何度か当ブログでも紹介をしていますが、浄土真宗の教義を分かりやすく説く手法のひとつです。担い手が少なくなっていたのですが、ここ最近また復活をしてきているとのことです。

参加者はロの字の机の周りに着席をして、先生の元、順々に読んで行きます。もちろん初回の自分は唱和せず(笑)。皆さん、それぞれ調子が違うので耳に残る感じもまた異なります。同じ内容を読んでもこうも違うのかと感心しました。

読んだ後に先生のフィードバックをいただけます。それぞれの型があるのはいいそうですが、あまり突飛すぎても駄目とのこと。そのさじ加減がやはり修練のたまものというものなのでしょう。

後半は、説教の実演。「説教の目的とは、要するに自己の信ずるところを、他人にも同じように、これを信ぜしめることにある。故に、第一に修養すべきは自己の信念である。」(説教の秘訣より)なので、上辺だけで自分が腑に落ちていないことを説教したとしても、それは全く聴衆に伝わらないものになってしまいます。自己の信念、、、言うは易しですが実際に何が信念かと問われたら答えに窮しますね。

さて、実演はお二方のを拝見。たとえ話も「なるほど」と思える内容でした。お二人のうち一人は、まるで浪曲のような語り口とよどみない流れの説教を披露くださり、なるほどこんな方法もあるのかと感心しきりでした。

泣語にも信念の必要性を感じた一夜となりました。



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