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お寺と泣語の距離感。 [涙活]

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こんにちは、泣語家の泣石家 霊照です。
先日、お寺の報恩講で泣語をいたしました。お寺で行うのはこれで4回目になります。

やはり、気持ちとしてはいつもと違います。といいますのも、参集くださっている門徒さん方は、仏事として参加をしているわけですので何やらわけのわからない御涙頂戴の噺ではいかんだろう、というわけです。いや、「いつもわけのわからん!」ネタをしているつもりはありませんが、それでも信心…とまでは言えませんし、どこか教訓…というと大げさですが、そんな「幸せに生きる気づき」をぜひ、盛り込んで話をさせていただきたいと思った次第です。とはいえ自分自身、心が定まらずふらふらとしている身ですから、偉そうなことを言えないので、身近な生活の中での自分の気づきをお噺させていただきました。

終了後は、お世辞でもあたたかい言葉をかけてくださり、ああ、ありがたいな、自分の命はこうやって「生かされているな」と実感いたしました。やはり、気持ちがいつもとは異なりますね。

そんな中でひとつ観賞くださった方から、「あれ、泣かなくてもいいんじゃない?なんかワザとらしく感じてしまって、一歩引いてしまうんだよね」というお言葉が…。うーむ、泣語家の根幹を揺るがすご意見ですよ(笑)。泣かなくてもいい泣語家は、泣語家足り得るのか….。ま、まあその涙が誠に見えるように精進すればいいということで解決するのかもしれませんが、どんなに向上したとしてもそう言った感想を持たれる人も一定数はいるのではないかと思ったりもしています。難しいです。

今回は、節談説教のある先生の前座としての登壇でした。節談説教は浄土真宗に固有の説教法ですが、聴衆が聞きやすいように話す文句に抑揚があるものや、ストーリー仕立てのものがあります。今回の先生はストーリー仕立ての先生で節はありませんでしたが、とても分かりやすい説教でした。説教の構成には型があり、讃題・法説・譬喩・因縁・結勧の5つのパートにわかれています。詳しい説明は省きますが、作成ネタ本もでていますので、興味がある方はぜひご覧下さい。


▲とても分かりやすい良書です。

お寺で何回か演ることで、いつもとは違う目的で集まっている方々に何かを受け取ってもらえるという自信が持てたので、今度は「介護施設」で一席やろうと思います。


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